親方の独り言

 昨日 先代の時から お世話になっているI様邸に訪問させてもらった

 和室の聚楽上塗り、浄化槽工事、耐震工事、屋根の補修の御相談
 良くある事で 電話では「聚楽上塗り」の用命だけだったので
 普段着での訪問
 行ってみると上記のような相談内容だったので
 お構いなしに床下に潜り 屋根の上に上がり また一着駄目にした
 この「普段着で行って そのまま床下に入ったり屋根の上に上がる」行為が
 妙に誇らしくて ちょくちょくしてるが その度に着る服がなくなり
 気が付くと全て作業着に格下げになっている

 妻に「作業着を何時も車に積んでいたら?」と指摘され
 ああ ああ わしは何年生きてきたのだろう
 そんな簡単な事に気がつかんかった
 我が妻ながら その機転に脱帽する自分は あほ 丸出しの気がする
 スーツであろうが一張羅であろうが お客様の御要望とあらば
 
 「即座に出来る作業をその場で行う」行為が美しいのだ

 自己陶酔しておったのだが 気がつかんかったなあ~
 今度からそうしよう

 さもあれ I様邸は 先代の建築から20年経った今でもびくともしていない
 昔の事なので 入母屋二重屋根+蓑子付き下り棟+土塗り真壁
 近頃では 殆ど見なくなった建て方だけど 確かに断熱・気密は全く考慮されてないけど
 その当時は 先代なりに考えたんだなあ と 思った
 時代の流れにつれて 家電製品が変わり通信機器が変わり
 それにつれて 「人の住まい方」も 変化している
 けれど 変わってはいけない物もあって

 今 国土交通省がやってる 200年住宅プロジェクトも
 「内部設備は変わっても 箱(=躯体)は変わらない → 手を加え住み続けられる住宅」
 がコンセプトで
 先代のしてきた事も その原型は200年住宅と同じ考え方で
 我が父ながら「まずまず 良い仕事してるじゃん」と思う

 200年はオーバーにしても
 3世代60年は 中の設備関係をいじらないでも住める家が良いなあと思っている
 自分の弱点は 出来上がった時よりも
 10年20年経った方が良くなる住宅を目指している所であるのは分かっているのだけれど
 新建築やアーキテクチャなんかの雑誌に のってる住宅を見ると まあ良いには良いなあ
 と 思うけど 真似しちゃろうと 思わない所が 全く革新的でない
 「住む為の器(=空間)」が 生業なので 住む人が望む空間を造ればいいのだけれど
 すぐに 「10年後、20年後に 本当に外壁がこの色で良いと思われますか?」
 聞いてしまう
 なんだか 良くない言い方だなあ とは 思うのだけれど
 何時も頭にあるのは 住む人の住み続ける人の空間構成と色使いで
 それも「なるべく将来に渡って飽きの来ない空間と色使い」で
 なんか 何時も「10年後、20年後は どうなっているでしょうか?」
 問いかけを してしまう

 なんか 良くない気もする 微妙に ずれている気がする

 増改築にせよ新築にせよ 自分のしている事は
 本当に20年後は どうなっているか 想像はできるけれど 確定はしていない

 なんか 良くない気もする

 訳分からなくなってきたが 今日も一日 がんばるんば
 ともあれ 今出来る事を 最大限 今日一日頑張ってみる
 
 

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