親方の独り言

 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」のプレカット打合せを 何度か行った

  図板(ずいた)と尺竿(しゃくざお)に依る「手刻み」も
 自分の工務店では 近頃は小規模増築の場合にしか しなくなってしまった

 「手刻み」に こだわり続ける工務店も確かに存在していて
 それは それで無くなっては いけない技術なのだけれど
 「早さ」と「安さ」では もう到底「プレカット」には
 対抗出来ない状態に 随分前からなっている
 ので 先代から引き継いで5年目で プレカットに切り換えた

 当初は 顕し梁を多用する 自分のやり方に
 プレカット工場の担当者と 多々行き違いが有り
 「意識」を共有するのに 時間がかかっていたのだけれど
 なんだか この頃違って来ていて
 なんとも嬉しい事に プレカット屋さんの方から「こんな継ぎ手が出来ますよ」と
 提案があったりしてきている
 打合せ回数も減り 流石プロはプロ 餅は餅屋であるよなあ

 実際の仕上がり現場を それほど見たこと無いのに こと「刻み」に関しては特化していて
 「こうして欲しいなあ」という「思い」を形にしてくれていて
 変な表現かも知れんが 一部技術的には「手刻み」を越えた表現が出来ていると思う
 職人的感覚からは 「越えられてしまった」悔しさも もちろんあったりして
 ちょびっと複雑な思いでは あるのだけれど

 兎にも角にも プレカットは なかなかの代物ではある

 データを打ち込んでいく作業は あくまで「人間」がやるのであって
 「刻み」方法を決定するのも人間で機械に「刻んで頂く」所が「手刻み」とちょっと異なる
 プレカット専用キャドを扱う人の「人柄」が 図面から伺えて
 「ああ この人も腕を上げたなあ~」と思ったりする

 そうこう思いながら 図面打合せを重ね 自分の「思い」「考え」を形にしていって貰う
 何度も何度も繰り返し見るのだけれど
 この「プレカット図のチェック」は緊張し
 「はあ これで本当に ええんかいのお」  不安になり
 二度見ても三度見ても四度見ても その不安は去らず
 臆病なのかも知れんが 何度見てもチェックしても納得出来ず
 仕方が無いので 「これでもう間違いが無い」と言う状態になってから
 一夜明けて 朝一番で 更に見直し ほぼ「諦め」状態で 最終の「Go」を出す

 「基礎のチェック」 と 「プレカットのチェック」 は いつも最後は「諦め」状態

 なんだか 試験勉強を しまくったけど 試験会場に行きたくない気持ちと「対」な 感じ

 かっこ良く言えば これで大丈夫だ と「覚悟を決める」って事なんだろうけど
 わしは 決して かっこ良くは なれん

 「もうこれ以上 考えれんけえ どうにでもしてちょ」って 諦めている感じがする
 お客さんには 失礼な感じだろうけれど
 「わしゃ 絶対に正しいんじゃ」と 思い切れんのだよ トホホなのだよ

 はあ ええんかいのお 間違わんかったかいのお 大丈夫かいのお
 といった 状態で 上棟日を向かえる事となる
 今まで「致命傷」の間違いは したことは無い
 でも 「見える梁」に 間柱欠ぎが 入ってしまっていた事や
 6寸背と思っていたのが5寸だったりしたことは ある

 毎回毎回 調子に乗って 梁の胴差し位置を変えたり 顕し梁を多用したりするものだから
 余計に 危険度が増している
 けれど 調子に乗って 毎回「もっと良くしちゃろう まだ良くしちゃろう」と思ってしまう
 また 今回の棟上げも「死刑宣告」を受けに行く気持ちで入らにゃいけん

 「大丈夫じゃけえ 間違っちゃあおらんけえ ええ事なっちょるけえ」
 棟上げまで 自分を励ます毎日となる

 やっぱ こりゃあ「諦め」じゃろうなあ
 

 

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