株式会社 内田工務店

スタッフブログ

親方の独り言

2010年 12月 17日 (金)

怒濤の如く また 今年も過ぎ去ろうとしている

 毎年 毎年 しなければいけない事 が 微妙に増えて来て
 じたばた じたばた していたら 今年一年も終わりなんとしている
 昨年の丁度今時 妻は日赤で陣痛と戦っており
 去年の今日は 一華が生まれる為の戦いの中日だった
 男っちゃあ つまらん者で その痛みを知らないので
 ああ 去年はそうだったな と 漠然と思うのみで
 昨日 妻が「今日の今頃は 丁度破水して」
        「この時間には まだまだ陣痛ピークの半分の痛さで」
        「あの時の 助産士さんは 本当に良い人で」
 と思い出を 事細かに言っていたのを 聞くにつけ
 なんだか 男っちゃあ つまらん者だな と つらつら思った
 手を挙げて 「わしは ここに居るぞ」と 宣言したのが3年前
 御陰様で じわっと仕事も増え 親方衆を「遊ばせる事」も無くなった
 来年も今年並みに せわしく動いて行く事となる
 「そりゃ嘘だ」と言われるかも知れないが
 自分自身が「表」に立ちたい訳でも無く 出来る事なら「宣伝」も したくは無く
 ぼっちら ぼっちら気の合う職人衆と 自分を選んでくれた御施主さんと
 自分の好きな建物を造って行きたい だけで
 ただ それだけで
 何も 「表」に立ったり 「目立ったり」 したい訳では ないのだよ
 この前 Mさん と話していて
 「よ~ あんなちっちゃい広告で 見つけて 私の所に 来ちゃったですね」
 「なんかピン と来る物が あったのよ」
 「でも 初対面じゃ ないですか そんなに信用して良いんですか」
 「私が何年生きて来たと思ってるの 一目で『この人がどういう人か分かります』」
 「はあ~ そういう物ですかねえ~」
 「広告出したく無い って言ったって 出すからこそ 会えたんじゃない」
 ・・・・・・・ それも そうである
 人と交わり 人と過ごす事は 中々にパワーの要る物であり
 人は 人として到達出来るレベルは限られていて
 どんなに運動能力に優れていようと 頭脳が明晰であろうと
 それは 人としての範疇の中では という意味であって
 トラやライオンやコンピューターには なれなくて
 そこが また 愛おしくて 切なくて なんとも楽しい事では あって
 「わしが わしで ある」と言う事も 人としての範疇の出来事で
 この なんとも かんとも 抱きしめたくなる「人の世」に あって
 一度きりの この人生 ただただ 全うしていくのが わしの生き方なのだろう
 今年の秋芳ロイヤルは 総勢93名
 本日より タッパー内田 として 毎日 自主練習に突入
 年末 メモリアルゴルフ大会は38名
 年賀状書き 300通
 大島リフォーム終盤 「集う家」ワックス掛けのみ 「住ごす家」コツコツ中
 「光と風の家」基礎着工 テーマ未定の新築予定2件 リフォーム計画6件
 年内 精算物件4件 継続で「気に留めている物件」11件
 先月「甦町屋社中」新人3名入社 確定申告 設計事務所年系報告 工務店事業報告
 来年11月は 10日間休みを取って「ハワイでひたすら寝る」
 「あるむ」は山ちゃん継続予定 「エピ」の家族と又食事会したい
 協力してくれている親方衆・職人衆の事 一美・一華の事 親族の事
 一つ一つ思えば 一つ一つに思い入れが あって
 色んな事が 絡み合って 日々が過ぎて行く
 面白き事多き毎日 面白き事多き「人の世」 恥多き「人生」
 あと二週間
 
 

親方の独り言

2010年 11月 29日 (月)

先日は フィッカルにて 年に一度の発表会

 この日に向けて 丸々4年間 練習してきたリバーダンスを ついに やった
 毎年 年を重ねているのだから 動きが悪くなるはずなのに
 まだまだ 到達しているレベルが低過ぎる為か
 毎年毎年 少しずつ出来ないステップが 出来る様に なって来た
 わしは 諦めが非常に悪いたち なので
 やり始めたら ちょっとや そっとじゃ 辞めない事を 信条としているので
 というか 物覚えが平均に比べて悪い(←頭の切れる方ではない)と 自分自身自覚してるので
 辞めなければ ちょびっとずつでも 前に行く
 辞めなければ 辞めてしまう人よりも 必ず前に進む
 そう信じているので ちょびっとずつ 進んできた
 そういう事で なんとか かんとか リバーダンスの発表会まで こぎ着けた
 何が何でもリバーダンス
 リバーダンス出来るまで 辞めるものか
 そう思っていたが
 先日 リバーダンスの本家本元DVDを 改めて見直すと
 はあ こりゃあ いけん
 金子先生に教えて貰ってる物と 全く違う
 凄い凄すぎる 人間業とは 思えん
 若干ステップが 分かって来ているので あの方々が どういう動きをしているか
 何度も見返すと 分かる様に なっており
 益々 その凄さが 身に染みる
 数日 毎夜 DVDを見ていた
 思うに
 辞められん まだまだ 辞められん
 あのレベル あの高み に 近づくには辞める訳には いかん
 まだまだ 足と身体が動く間は 上を目指して続ける意志を固めた
 もうチョビット上手くなりたい もうチョビット動きを楽にしたい
 なので 又 来年も続行
 意志の続く限り タップは辞めん 金子先生が教えてくれる限り 辞めとおは ない
 次回は 12/22内田工務店IN秋芳ロイヤル大忘年会での 発表
 一人っきりでのステージに なるので 滑る訳に いかん
 滑りそうだが 12月よりは 何をさておき
 リバーダンス と 第二 の 練習
 工務店グループだけなら まだしも
 一般の方々に 無理矢理「お見せする」 と言う形 なので
 滑ったら ただ事では済まん気がする
 また一年 また一年 少しずつでも前に進みたい物である

 

親方の独り言

2010年 11月 14日 (日)

先代が他界して もう16年 経過した

 今日は 17回忌で お坊さんが来る
 物心ついた頃から 家業は工務店で
 先代が 工務店をしていた頃は 丁度 高度成長期の ただ中で
 わし自身も 特徴が若干有る と思っているが
 先代は わしよりは かなり破天荒な生き方を していて
 農業高校卒業後 体育大学進学を 両親に反対され
 ふてくされながら 家業の農業をし
 その頃は トラクターも やっと発売された頃で
 わしの記憶の中にも「牛舎」が あり
 田を すく のにも 牛を使っていた位で
 二丁という耕作地を 世話するには 「男手」が必用で
 先代の兄は山口大学に進学し 弟は広島大学に進学する 家庭環境の中
 次男坊に農業を継がせるのは 親としては 当然の選択だったろうが
 当の先代に してみれば 「なんで わしだけが」の思いもあった事だろうと思う
 実際に 先代が 「わしは したい事が出来んかった」と 自分に何度か漏らしており
 悔しかっただろうなあ と 子供心に可哀想になった
 御陰で わしは今まで「したい事」は 自分自身の努力さえあれば
 なんでも出来る環境に置いて貰った事は 今でも感謝している
 先代が20半ば位に 急速に農業にも「機械化の波」が押し寄せ
 人手を必用とされなくなり 先代の父親に 婿養子に出される事となる
 わしの母親の元に 婿に出され 姓が「町田」となり
 25で わしが生まれ 28で わしの弟が生まれ
 じっと しとりゃあ良い物を
 婿先の「花製造・鯉の養殖」を じっと やっちょきゃあ 良い物を
 あろうことか 女を追っかけて家出し 捨てられ
 行くところが無くなって 実家の秋穂に帰った
 母親に してみれば え~迷惑で あったろうに
 母は わしと弟が いたばっかりに 片親にしたくなかったらしく
 そんな先代の後を追いかけ
 「町田」の家を出て「内田」に姓を替えた
 母の両親にしてみれば もっともっと え~迷惑で あったに違いない
 子供のいない 母の両親は 母が小学生の時に
 母を養女として 親戚から貰い受けていたのだから
 さておき 先代は 実家に 出戻り
 あろう事か 3人もコブ(母、わし、弟)が付き
 10帖一間の 実家に 居候を わしらあ家族は する事となった
 先代の兄家族 じっちゃん・ばあちゃん わしらあ家族 と ひしめき
 子供心に 日々 みいんな喧嘩していた記憶がある
 先代は 手に職も無く もちろん母は箱入り娘だったので特技もなく
 わしの両親は 近所の新光建設に建設作業員として共働き
 わしと弟は 出戻り一家なので あんまし相手にもされないので
 弟と二人で 何時も外で野原を駆け回っていた 勉強した記憶は一切無い
 建設作業員を数年続けた先代は 「このままでは 一生うだつがあがらない」と思ったらしく
 突然 工務店を始める と 決意し
 「わしは なんでも出来る」と嘘を付き
 親友の家を 請け負わして貰う事となる
 「墨付け」も出来ないので 親類の棟梁の所に 一ヶ月無給で働き
 「墨付け」を教えて貰い かけずり廻り協力業者を探し出し
 友人の家を完成させた
 先代が よく言ってたが
 「後にも先にも 『墨付け』を 一度も間違わずに上棟出来たのは あの一軒だけだった」
 と言う位 先代にとっては 人生の一大転機だった
 ・・・・・・・・・・なんだか 話が長くなってきたので 又 この「先代記」は 後日
 いずれにせよ なんとも変わった人間で
 わしに とっては 目標であり 友達であったのが 先代で
 遊びに遊園地や旅行には 生涯一度も 連れて行って貰えなかったので
 父親とは 思い難い人間だったけれど
 今にして思えば 先代は「父親であろうとしている」つもりは あったのだろうなあ
 社会人になってから 二人でゴルフしたり 飲みに行ったり していたので
 ちょっと年の離れた友人感覚で
 修業先の設計事務所から 内田工務店に帰る間際に 亡くなった時は
 「あ~ 一番大切な友達が一人 おらん様になってしもおたのお」と思い
 遺体を抱きかかえ 100m位歩いた時は 「この重さは一生忘れん」と思い
 柔道でわしが県大会個人3位になった時に 練習時間に突然現れ
 「勝負せえ」と言い 2度やって 二度とも投げられた時は
 「こいつは 本当に日体大に行けたのかも知れん」と思い
 飲み屋で 女装パブに 女装パブと教えてくれず一緒に入店し
 きれいな ねえちゃん(←実は男)を わしに くどかせ
 店を出るなり 「真一おまえ 男を口説いて面白かったか」と にやついた時は
 「はあ こいつは 絶対に父親じゃあない」と思い
  ・・・・・ あ~ 長くなる 長くなる やっぱり 後日
 もう16年 経ってしまった
 ああいう人間が「身近に居た」事が 自分の生き方の大半を支配している
 良い事か 悪い事か 分からないが
 わしは 半分は 先代を真似ている と 自覚している
 今 わしの廻りを固めてくれている職人衆を見ると
 どうやら 先代の廻りを固めていた職人衆と 同じ匂いを持ち
 似ているのだろうなあ と思う
 16年の月日は 先代の遺体の重さを 忘れさせ
 どう考えても理不尽な仕打ちを 忘れさせ
 良い思い出しか残さないのに 充分な月日である

親方の独り言

2010年 11月 08日 (月)

今年も 終わりに近くなる

 年内に 仕上げなければならない仕事も ほぼ確定
 「想う家」「集う家」完成引き渡し 年内
 大島リフォーム 年内 & 計画中リフォーム工事二件 年内予定
 縁あって 周防大島で大規模リフォーム工事(浴室・洗面・トイレ・LDK=水回り全て)を
 請け負わせて貰って 先月末より 大島に足を運んでいる
 今週一杯 吉松大工さんは 大島に泊まり込み
 来週から 古賀君が 泊まり込みに行く
 秋穂より高速道路を使用しても 90分かかり
 行き帰りで3時間 なので 「段取り8分」は その名の通り
 段取りが 全ての鍵を握っている様な現場の進捗となっている
 工事を開始して 2週間 その間 自分が現場入りしたのは3度
 リフォーム工事の時は 特に目を離せない状態に 何時もなるのだが
 今回ばかりは 「行きたくても行けない」「時間が許してくれない」状況で
 吉松さんと 電話で 「あれや これや」 で 進んでいる
 言葉とは 不自由な物で 「現物・現場」を 忠実に再現してくれる訳でも無く
 今回ばっかりは わし自身あんまり重きを置いていない「図面」のありがたみが 身に染みる
 半日がかりの「現地調査」を3回し いつもよりも力を入れて「現況図面」を起こした御陰で
 現場状況は 現場に実際に立っているかの如くに「目に浮かぶ」ので
 なんとか かんとか 納まっている
 それでも 現地でなければ 「納まらない」所が リフォーム工事では出て来るので
 今週 もう一回行かにゃならんかなあ~ と思っている
 一年の締めくくりである 内田工務店IN秋芳ロイヤル大忘年会 の 段取りを進めるにつけ
 はあ もお 一年経ってしもうた
 怒濤の如く 月日が経ってしもうた
 今年も 色んな人との出会いが あった
 変化し 動き 過ぎゆくことが 時間で
 今年は たまたま今までの所 重大な「別れ」の場面は 自分には訪れなかったけれど
 生きる という事は 変化する という事なので
 自分自身も まぎれもなく その渦中にいて
 一美の事 一華の事 家族の事 取り巻きの事 井上さんの事 甦町屋の事 仕事の事
 朝 誰も動き出さない時間から起きて段取りして 朝一で棟梁衆と打合せして
 書類チェックして 現場廻りして 施主打ち合わせ時々して 時々 図面書いて 時々 見積りして
 微妙な合間に 本を読んで 定期購入の建築雑誌に一通り目を通して
 なんだか 気が弱くなっているのか
 胸の中の「命時計」の秒針が カッチ カッチ 音を立てている様な気が この頃している
 気にしても 仕方ないので
 「今出来ることを 地道に ただただ 地道に続ける」事を しているのだけれど
 わしゃ 何時まで 続けられるのだろうか
 早く 「50歳のダンディおやじ」に なりたかった
 今でも 早く そんな感じになりたいと 思っては おるのだが
 なんだか この頃 時計の音が どうにも耳につくように なっている
 秋のせいかしら わたし オセンチ なのかしら いやだわ 私ったら
 と 思ったりもする なんか 徒然だよなあ~
 ・・・・・・・・写真は 大島の「ビフォアー状態」 「アフター」は 全く違った空間となる
 クリスマスまでの 完成に向けて コツコツ コツコツ 「内田のやり方」を 通していく

親方の独り言

2010年 10月 05日 (火)

若干の工事を残し 「夢見る家」の 完成を迎える

 初めてKさんに 会った 昨年11月より
 早 一年が経とうとしている
 一軒一軒 毎回の如く 違っていて
 一軒一軒 違った家庭環境が あり
 ただ ただ 自分に出来ることは
 「幸せの種を造る事」なのであろうと思う
 「建築」という手段を持って 人と混じり合い
 自分がベストと思える環境を造り
 職方衆 全員一丸となれるような 「現場作り」を するのが
 自分の役目であり
 完成する時に 何時も思うのだが
 「わしが建てた」訳では 無く
 わしの力は 微々たる物で
 大工・左官・板金・塗装・サッシ屋・建具屋・畳屋・水道屋・電気屋・基礎屋・足場屋・内装屋・白蟻屋
 レッカー屋・建材屋・材木屋
 みんな みんなが 寄り集まって
 「わしゃあ こんな事したいんじゃ 協力してくれえやあ」 という言葉に
 一人一人が 良くなれ 良くなれ と 念じながら
 一つの 建物を 完成へと導いていく
 建物は 建ててくれる建て主の 持ち物なのだけれど
 職人と 言うのは 「やった範囲は自分の物」だと思っている
 お金は 確かに大切で 否定はしないけれど
 それだけでは 「お施主さんと『わしらあ』の家」には ならない
 ちっちゃい ちっちゃい 吹けば飛ぶような わしの工務店では
 家は 「わしらあ」そのもので 生き様そのもので 「商品」なんかでは 断じて無い
 ラフプランを起こした時点で この完成形は「見えて」いるのだけれど
 毎回の如く わしは 今 感動している
 みんな みんな 良くやってくれた
 わしが したんじゃなくて
 お施主さん 職方含めて みんな みんなで
 「幸せの種」を 一つ植えた
 そういう思いがある
 今回 ラフプランを 起こしながら
 自分自身 この家に 「夢を見」
 Kさん 家族の 将来の「家族の笑顔」を 夢見
 わしは Kさん長男の「笑顔」が この家で生まれる事を 夢見ている
 種を育てて行くのは 「住む人」であり
 Kさん家族の「色」に この「夢見る家」は 染まっていく事と思う
 もう少しで 完成引き渡し
 良い夢を見させて貰い わしの夢が正夢になる事を 願っている