株式会社 内田工務店

スタッフブログ

親方の独り言

2009年 04月 29日 (水)

 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」のプレカット打合せを 何度か行った

  図板(ずいた)と尺竿(しゃくざお)に依る「手刻み」も
 自分の工務店では 近頃は小規模増築の場合にしか しなくなってしまった

 「手刻み」に こだわり続ける工務店も確かに存在していて
 それは それで無くなっては いけない技術なのだけれど
 「早さ」と「安さ」では もう到底「プレカット」には
 対抗出来ない状態に 随分前からなっている
 ので 先代から引き継いで5年目で プレカットに切り換えた

 当初は 顕し梁を多用する 自分のやり方に
 プレカット工場の担当者と 多々行き違いが有り
 「意識」を共有するのに 時間がかかっていたのだけれど
 なんだか この頃違って来ていて
 なんとも嬉しい事に プレカット屋さんの方から「こんな継ぎ手が出来ますよ」と
 提案があったりしてきている
 打合せ回数も減り 流石プロはプロ 餅は餅屋であるよなあ

 実際の仕上がり現場を それほど見たこと無いのに こと「刻み」に関しては特化していて
 「こうして欲しいなあ」という「思い」を形にしてくれていて
 変な表現かも知れんが 一部技術的には「手刻み」を越えた表現が出来ていると思う
 職人的感覚からは 「越えられてしまった」悔しさも もちろんあったりして
 ちょびっと複雑な思いでは あるのだけれど

 兎にも角にも プレカットは なかなかの代物ではある

 データを打ち込んでいく作業は あくまで「人間」がやるのであって
 「刻み」方法を決定するのも人間で機械に「刻んで頂く」所が「手刻み」とちょっと異なる
 プレカット専用キャドを扱う人の「人柄」が 図面から伺えて
 「ああ この人も腕を上げたなあ~」と思ったりする

 そうこう思いながら 図面打合せを重ね 自分の「思い」「考え」を形にしていって貰う
 何度も何度も繰り返し見るのだけれど
 この「プレカット図のチェック」は緊張し
 「はあ これで本当に ええんかいのお」  不安になり
 二度見ても三度見ても四度見ても その不安は去らず
 臆病なのかも知れんが 何度見てもチェックしても納得出来ず
 仕方が無いので 「これでもう間違いが無い」と言う状態になってから
 一夜明けて 朝一番で 更に見直し ほぼ「諦め」状態で 最終の「Go」を出す

 「基礎のチェック」 と 「プレカットのチェック」 は いつも最後は「諦め」状態

 なんだか 試験勉強を しまくったけど 試験会場に行きたくない気持ちと「対」な 感じ

 かっこ良く言えば これで大丈夫だ と「覚悟を決める」って事なんだろうけど
 わしは 決して かっこ良くは なれん

 「もうこれ以上 考えれんけえ どうにでもしてちょ」って 諦めている感じがする
 お客さんには 失礼な感じだろうけれど
 「わしゃ 絶対に正しいんじゃ」と 思い切れんのだよ トホホなのだよ

 はあ ええんかいのお 間違わんかったかいのお 大丈夫かいのお
 といった 状態で 上棟日を向かえる事となる
 今まで「致命傷」の間違いは したことは無い
 でも 「見える梁」に 間柱欠ぎが 入ってしまっていた事や
 6寸背と思っていたのが5寸だったりしたことは ある

 毎回毎回 調子に乗って 梁の胴差し位置を変えたり 顕し梁を多用したりするものだから
 余計に 危険度が増している
 けれど 調子に乗って 毎回「もっと良くしちゃろう まだ良くしちゃろう」と思ってしまう
 また 今回の棟上げも「死刑宣告」を受けに行く気持ちで入らにゃいけん

 「大丈夫じゃけえ 間違っちゃあおらんけえ ええ事なっちょるけえ」
 棟上げまで 自分を励ます毎日となる

 やっぱ こりゃあ「諦め」じゃろうなあ
 

 

親方の独り言

2009年 04月 19日 (日)

 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の確認申請も もうじき降り
 着工となる

 へたっぴい では あるが
 先代より 跡を引き継いで以降
 新築の場合(たまに増改築・改装の時もだけど)には 必ず模型を作っている

 子供の時から「家」の造られていく過程を見てきたからかも知れないが
 ラフの平面図があれば 実際の建物の構造・姿は 容易に想像出来るし
 納まり上 どこに問題が起きるか分かっているつもりなので
 模型作製は 自分的には必用の無い事では あるのだけど

 修行時代(H工務店会社員時代)一年に一度位の頻度で 気の合う施主さんに会うと作って
 何故かしら非常に喜ばれる姿が心地よく
 「自分が請け負って住宅を建てる時には必ず作ろう」と修業時代には思っていて
 実際 今まで全ての新築工事(時には増改築・改装)には作ってきた

 我ながらに へたっぴいな模型だなあ とは 思っている
 これまた 修業時代(設計事務所時代) 初めて模型を作った「ベネトン山口支店」を
 請負業者の方々から 「まあ 下手な模型だよなあ」と酷評されたのが トラウマとなり
 未だに 自分で模型作製が上手だとは思えない

 それでも そのトラウマに負けず 作っていると
 何故かしら 施主さんは その模型を捨てずに取っておいてくれていて
 それが 建て終わって住み始めてからも ずっと取っておいてくれている姿を見てきて

 どうやら 自分の模型に対する感じ方と 他の人との感じ方は違うようであるなあ と思い

 模型を作るたんびに 親方衆が 「うっちい器用じゃなあ」と 本当の立派な模型を
 見た事が ないからだろうけれども 言ってくれたりして

 そうこう 言う訳で 未だに模型を作り続けている

 今は もう 殆ど見なくなってしまったけど
 自分達の世界には 「図板」という物があって
 柱の○と 壁の線 のみの ○と線(分かり難かろうが線路・路線図にも見える書き物)の図が
 すなわち「家」で あって
 ○と線 で 家は出来る物だと 思っていて
 ○と線 さえ あれば 住む空間が 作られていく と思っていて
 何故 模型が良いのか 実感として湧かないのだけれど

 模型を見ながら 施主さんと打ち合わせしていると 確かに 言葉で説明したり
 パースを描いたり 三次元Cad なんかより 遙かに簡単で 説得力が あったりする

 ので まあ作った方が良いかなあ とは 思うのだが
 繰り返す様だが 横着な様だが 「そんなん わしゃ分かちょるけえ」なのだなあ

 ただ そう言えば 「山口提灯みこし」を設計した時だけは
 図面描いても ほんに よお分からんかった
 どねえなるんかいのお と 三日かけて コセコセ作って
 1/20位のスケールで 実際に 担ぎ棒から 提灯を入れる組子からの継ぎ手なんかを
 カッターナイフで 地道に作って 出来上がって 初めて
 「ああ こねえすりゃあ きっと出来るんじゃろう」
 と思わされたのは事実で 実際に現場が動き始め
 誰もが 初めての経験で どねえすりゃあええんか状態の中
 かなり自身満々に事を進める事が出来た
 今でも 年に一度の「山口提灯祭り みなこいのんた」には
 「提灯みこし」が 担ぎ出され
 ああ あん時は こんな事したなあ と
 眺めるにつけ 懐かしい 「面白い仕事」を させて貰った 

 と言う事は 「経験値」 なんだろうなあ

 まあよい

 もうすぐ現場が動き始める
 自分の机上の作業も終了し
 本来の「現場作業員」の姿に戻る

 はあ やっちゃるんじゃけえ
 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の最終形は心の中にしっかりある
 これから 積み重ねて積み重ねて ひたすらに積み重ねて
 Oさんにしかない一件の「住まい」を造る
 ひたすらに 積み重ねていく

 やっちゃうんじゃなあ~

 ・・・・・その O様邸 なんだか暗い写真で ほんに「へたっぴい」ではある
 その「眺める山」 変哲もないかも知れないけれど その「変哲の無さ」が良い
 その景色に感動し その景色と奥さんと御主人の「思い」が 今 胸に有る
 唯一無二の「住まい」となる由縁は ここにある

親方の独り言

2009年 04月 11日 (土)

 持てる力を振り絞って図面書きに いそしんだ
 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の図面も ほぼ完成

 今回の現場は これから始まるのだが
 もう実は 完成形は自分の中では分かっているのだが
 これまた めちゃくちゃ「良い家」になる

 何故かと言うと
 今回は「自分の住まい」を 考えに考え抜かれた「奥様」の存在があるからなんだなあ

 最初 ラフ図面(←奥さんが書かれた単線の間取り図)を見たときは
 ありゃ これはまた特異なゾーニングじゃなあ と思い
 いつもの如く 家族構成やら趣味やら住む気持ちやら
 なんやらかんやら聞いてみると

 「まこと じゃから こんなゾーニングなんじゃなあ」

 奥様や御主人の気持ちが 少しずつ分かり始め
 「それなら こんな家はどうでしょうか」
 との提案をさせて貰えるようになって行く
 完全に分かったというのは おこがましいか知れんが
 かなり理解出来て来たつもりでは ある

 ちょびっとだけ 建て主よりも「建築する行為」に精通している立場に立つ自分が
 建て主の事を 自分の事の様に 感じられる様になった状態まで自分を持って行けると
 はあ もう これは もう 『良い家』になるのは 決まっちょる

 完成形は ラフ平面を起こした時に 既に「出来上がって」いるので
 後は どうしたら「建て主」や「棟梁」や左官・板金・基礎・塗装・内装・電気・水道etcに
 「理解して貰える図面」を仕上げていくか
 「協力して貰える現場環境」を作り上げていくか
 が わしの仕事だと思っている

 建築士の免許は一応持ってはいるが
 自分は「図面描き」とは思って無くて
 好きな順番から行けば
 「現場作業」→「現場段取り」→「現場掃除」→「現場打合せ」→「タップダンス」→
 「材料運搬」→「作業場整理」→「妻との語らい」→「気の合う仲間との飲み会」→
 「ラフ図面作成」→「施主打合せ」→「建築図面作成」→etc
 と
 恐らく 好きな作業上の10番目以下の作業を
 今 黙々と やっている訳で
 でも 精魂込めて やらんと 現場での楽しいひとときも 過ごせない
 ので
 嫌な順番の上からベストテンに入る「確認申請提出」を月曜日にする予定

 はあ 早よお 現場で汗流したい
 季節は もう 春真っ盛りぜよ

 ・・・・・事務所の椿にブンブン蜂が飛ぶ 誠に かわゆい
 ちっちゃいくせに 抱えきれん花粉を足に付け ブンブン飛びよる
 よお働くなあ ちょびっと癒される

親方の独り言

2009年 04月 07日 (火)

 今年度 一発目 川棚温泉祭り「舞龍祭」 無事終了

 川棚のこの時期 毎年 天候は悪く 通い始めて6~7年(8年か? はあ分からん)
 今年は 初めて参加した時以来の 好天気
 中九大会も兼ねている事から チーム数も多く
 天気が良いせいか はあ もお それは もお 今までの舞龍祭の中では
 最高に観客の皆さんの数も多く 観客の皆様の視線も温かく
 
 誠に 温かい気持ちで 出演させて頂いた

 甦町屋自体が あまり大会に出ている口では ないので
 一年ぶりに会う 「よさ友」や「メル友」や
 一年ぶりに見る 色んなチームの演舞観戦も面白く
 ええ一日を送った

 今回 自主的な他のチームの応援「煽り」も 幸いにしてなかったので
 お見せできない状態の 自称スーパーサブの出番も 幸いにして なく
 「祭り」では あるが 運転手でも あったので 酒も あんまし たしなまず
 比較的 冷静に 楽しく ひとときを 送った

 色んなチームが 色んな 頑張り方をしていて
 「よさこい」の内部を 知らん人には意外かもしれないが
 「よさ仲間」では 既に常識となっている
 「山口によさこいが入って来たときから主力代表は変わらない状態」が
 今回 更に色濃くなり
 「お互い 年を取ったのお 頑張ろおのお」の気持ちの繋がりも安心出来
 いい感じの「舞龍祭」

 これまた 「よさこい」の内部を知らん人には意外かもしれないが
 わしらあ 参加費払って 祭りに出演させて頂いている
 「よさこい」始めた頃には 何で 祭りを盛り上げに行っているのに
 わしらあが自腹切って 「出させて下さい」状態で 行かんにゃあならんのか
 はあ 信じれんけえ 行っちゃらんけえ と 真面目に思っておった

 のだが

 ここ数年は 祭りには金が かかるし
 自分達が行って 自分達で飲み食いする事で
 多少なりとも その土地が 潤う事に なれば
 まあ いいかあ
 と 思える様に なってきた

 なんの心境の変化か
 と 言うと
 やっぱり
 その祭り その祭り
 で 頑張っている関係者一同の「顔」が見えて来たからなんだろうなあ
 「頑張っている人」を 見ると
 わしも その「頑張り屋」の一員か末席に加えさせて下され
 と 思うように なってくる
 舞龍祭を 造ってくれている 「ひびき」や「レインボー」や「舞龍人」の面々
 もお 好きになってしまうんだから 会ってみんさい ほんまじゃけえ

 「人が物を造る」のですよ

 ・・・・・ 今回の舞龍祭での集合写真
 前回 掲載した「半裸」写真は 妻に こっぴどく怒られた
 「誰が しんちゃんの裸を見たいと思うん あんた ナルシストなんじゃない」
 んな事言っても わしが 素直に妻の言う事を聞くはずもなく
 確かに 微妙にナルシストであると 自負しているので
 おお~ 我が妻ながら 分かってるじゃん 立派立派 と 微妙に嬉しくもあり
 わし一人が出ると また いつなんどき ナルシストと呼ばれるかも分からんので
 「全員の集合写真」
 みんな 良い笑顔 を 持っている
 一人一人を 見ると 良い笑顔に なってきたなあ と 成長ぶりが嬉しい
 でも わしゃ ナルなので ほんまは 自分しか見ちょらん かったりする

親方の独り言

2009年 04月 03日 (金)

 あっと言う間に3週間

 前回のコメントより怒濤の如く時は流れ

 図面作成・打合せが主体で ちょこんちょこんと現場入り

 仕事に かまけて
 甦町屋社中の練習に ほぼ三週間行けない状態になってしまっていた

 昨日は 4/5(日)川棚舞龍祭(In中九大会)への最終練習日
 なんとかかんとか 参加

 久々に我がチームの「踊る姿」を見るにつけ
 一ヶ月前とは別人になった面々へと変貌している

 何時も 練習の時は 「わしはスーパーサブじゃけえ」
 と ママアズ(←我がチームの奥様方の別称;わしが名付けた)
 の連れてきた子供達と鬼ごっこしたり じゃんけんしたり 高い高いしたり
 スーパーサブなので 要するに 控え選手なので
 練習するより練習できる環境を調える役柄なので
 子供達とじゃれあっているのだが
 スーパーサブだけに 誰か病気したり 仕事で急に来られなくなったり
 突然 他チームの有志が 「煽り」をする状況になると
 空いたスペースに入り 本番を踊る事になる

 ので 控えでありながら 各パートが踊れる(←なんか ちょびっとカッコ良いぞ)
 踊り子であると 自負している ちゅうか そうならねばならん
 と 本番までには 適度に ほぼ「お見せ出来る状態」にまで 自分を仕上げるのだが

 今回ばかりは どうにもこうにも ならん状態に陥ってしまった

 その 自分の ふがいない姿は さておき

 ママアズの成長ぶりに わしゃ感動したぜよ
 甦町屋社中は 最大時50名を抱える団体だった
 今は10名程度しか おらん
 負け惜しみに 聞こえる言い方かもしれんが
 「今の甦町屋社中」が 自分の中では 「今までで一番ステキ」

 一人一人が 若干独立し 一人一人が 他の一人一人を思い
 一人一人が その立場立場で 華を咲かせようとしているのが
 なんとも かんとも 嬉しいのであります

 いつ潰れてしまうチームか分からん状態が 二~三年続き
 今でも いつ潰れてしまうか分からんが
 みんな 良い人物になって行く
 元気にあふれ 前向きで じらを言わず 小さな事でも感動出来る心を持ち

 ついでに わしの事を尊敬してくれれば もっと嬉しいのだが
 どうやら 自分のポジションは ママアズのガキンチョ以下の立場らしく
 ガキンチョへのママアズの 躾の一環の言葉に
 「あんまり 内田さんの近くに行くと アンポンタンになっちゃうよ」とあり
 どうやら ママアズ的には なまはげ か ひょっとこ 位の 位置にあるらしく
 認めたくないのだが どうやら そうらしく
 悔しいのだが どうやら そうらしく
 「しんちゃん涙が出ちゃう 女の子だもん」とつぶやきたくなったりもする

 にしても 良い状態で 川棚へと向かう事になれたのは 大変喜ばしい

 川棚にて ファイヤア しちゃうぞ

 ・・・・・写真は 遙か昔 徳山(今の周南)にて中九大会が あった時に
 県連三賞の内の一つに選ばれた時の物

 その数年前に甦町屋社中は発足し
 「よさこい」が何であるかも分からず
 とにかく「踊ればいいんじゃろう」と皆で練習し
 初めての祭りに参加してみると

 「ありゃ おかしいぞ 踊らんとマイク持って しゃべる人間が おらんといけんみたいじゃ」
 「お~ うっちゃん そういやあ あんた建築士会の中で一番声でかいけえ あんた行け」
 という事で 練習はするものの 本番になると しゃべる・かけ声をかける「煽り」と
 いわれる人間に なってしまった

 とは言え やはり 「よさこい」は 「踊ってなんぼ」 であるので
 「甦町屋の煽り」と呼ばれるのに 若干抵抗があり
 ちょびっと不服なので
 週一の練習では まったりと練習している

 なんちゅうたって スーパーサブ なんじゃもん えっへん